喜助のあたまの中

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祖母が遺した言葉が私の人生に与えた影響、そして今思うこと

昨年91歳で祖母が他界した。

大正生まれの祖母は太平洋戦争などの戦争を経験して、厳しい戦後に子育てをした昔の人だった。幼いころから良く可愛がってもらったが、厳しい時代を生き抜いたことを感じさせない、明るく飄々としたおばあちゃんだった。そんな祖母が良く口にしていたのが『若いうちの苦労は買ってでもしなさい』であった。

若いうちの苦労は辛いと思うかもしれないけれど必ず将来の実になるものだよということであった。この話を良くされたのは小学校の時分であったから、当時はあまり意味がわからなかったが、祖母が亡くなった折にこの言葉を再度思い出した。

 

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このおばあちゃんの言葉を今の自分が言い換えるなら、”原体験のある人は強い”という言葉になる。原体験というのは思想が出来上がる前の若いころに、自分の思想形成に大きな影響を与えるような体験のことである。若いころに大きな病気をしてお医者さんに助けてもらったとか、災害で自衛隊の人に助けてもらったとか、そのような体験が例として挙げられると思う。

この原体験というのは、その意味通りその後の人生に大きな影響を与えるものである。人生において何らかの決断をしなければならない時、この時の体験が決断の指標になるのである。だからこそ、原体験を持っている人は強いと思う。人生の方向を決断する時に方向を見失わないからである。

人生においては予想できないことが多々起こるので、大切なのは長い目で見た時の方向性である。どのような状況になっても人生で向かうべき方向だけは見失ってはならないからだ。原体験は人生の一般方向を示す灯台となる。

 

さて”若いうちの苦労は買ってでもしなさい”という言葉がなぜ”原体験がある人は強い”という言葉になるのか。それは、大抵の場合原体験になるような大きなインパクトのある体験は苦労の中ですることが多いからだ。加えてネガティブな体験ほど、記憶に残りやすいものなのである。苦労の中の方が人は謙虚になりやすいし、そこから何かを学ぼうという姿勢が現れるからであろう。

このような視点から考えた時、若い頃に苦労しておくことは原体験を得るために大切であると考えられる。もちろん祖母がこのように物事を複雑に考えていたとは考えられないが。

 

大学受験を目指して勉強する高校生を指導していたり就活する友人を見て思うことは、あまりにも多くの人が人生において何をなしたいのかが決まっていないということだ。もちろん具体的にこの職業でこのポストでこんな仕事がしたいというところまで考えられる学生はほとんどいないと思う。というかいたら怖い。

だがしかし、このような方向性で生きていきたいというようなものはあってもいいと思うのだ。その方向性次第では文系か理系かという選択自体もさして重要ではなくなることもある。研究職以外は理系に進まずとも、職業として歩める場合も多いからだ。

例えば人の役に立つ仕事がしたいというのなら、別に特定の専門を持っていなければならないということはない。人に直接関わる医者や看護師という仕事から、ほとんど人とは関わらない大学の研究者まで人の役に立つ仕事であるからだ。

 

どうして自分の人生の方向性を見いだせないのか。それはおそらく自分の頭で考える経験が不足しているがゆえである。つまり苦労をしていないのである。

進学についても高校までなんとなく進んできた。クラブもとりわけ頑張ったわけでもない。勉強も特に頑張ってない。それ以外の特別な機会に飛び込んだわけでもない。何かに特別感動したこともない。

このような体験があったら、そこから何か得られると思うのだ。

(実際クラブ活動を一生懸命やっていた学生の方が将来の方向性も明確な気がする)

 

若いうちの苦労は買ってでもしなさい。本来は若いうちの苦労の慰めの言葉であるかも知れないが、今になって思うのは学生時分に苦労しておいて良かったなということである。